ゆで卵の戯言

26歳SIer勤務の男の戯言です。

【映画感想】ドライブ・マイ・カー

はじめに

映画「ドライブ・マイ・カー」は2021年に公開された、濱口竜介監督/西島秀俊主演のヒューマンドラマ作品です。
原作は村上春樹さんの短編小説集「女のいない男たち」所収の短編ですが、映画としてはかなりボリュームがあり、約3時間の大作です。
それでも、物語の流れやそれぞれの登場人物の悩み、苦しみを語る場面などが非常に濃く、時間を忘れて没頭できる作品でした。

数々の映画祭で受賞歴があり、世界的にも評価されているのがとてもよくわかりました。興味のある方はぜひご覧ください!

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公式サイト引用
当ブログには多少のネタバレを含んでいますので、気になる方はご注意ください。
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あらすじ

舞台俳優であり劇作家でもある家福悠介(西島秀俊)とその妻である音(霧島れいか)は脚本家として活躍する夫婦だった。
冒頭、寝起きの音はある物語を語り始めるが、音は全くその記憶がない。その物語を夫悠介が記憶し、音を仕事現場に送る車の中で聞かせることが、悠介の日課のようになっていた。
ある日、悠介は自身が出演する舞台の海外公演のために家を出たものの、急遽予定が変更となり家に帰ってくる。するとそこには、不倫をしている妻の姿を見つける。悠介はそっと家を出て、ホテルから海外にいるかのように装いながら、テレビ電話を行う。

数日後、普段のように家を出る悠介に、音は帰ってきたら話があると伝える。しかし、悠介の帰りが遅くなり、家に着くと音はクモ膜下出血で倒れており、そのまま帰らぬ人となってしまう。

2年後、演劇祭に参加するため広島に向かうと、主催者側で用意された寡黙な女性ドライバー渡利みさき(三浦透子)が自身の車を運転することになってしまう。最初は嫌がる悠介だったが、宿泊先まで送ってもらう道中で、今後も運転手を続けてもらうことを決心する。
この演劇祭のオーディションに音の不倫相手だった俳優の高槻耕史(岡田将生)が参加していた。高槻は人気俳優として様々なドラマなどに出演していたが、とある事件でフリーとなって活動していた。
オーディションが無事終了し、いざ稽古が始まると、ただ台本を読み続けるという稽古が続き、高槻はその意図を汲み取ることが出来ず、反発してしまう。そんな中、同じ舞台に出演する女優と一緒に稽古場に向かうところを悠介に見られ、慌てた高槻は車で事故を起こして遅れてしまう。
そんな高槻に悠介は怒ることなく、責任感を持てと言うだけだった。

ある日の稽古終わり、みさきのおすすめの場所に行きたいという悠介を乗せ、みさきはごみ処理場へ向かう。
実はみさきもとある事情を抱えて、北海道から広島へ出てきており、広島で最初に働き始めたのが、このごみ処理場だった。

数日後、稽古終わりに高槻は悠介を飲みに誘い、バーで俳優論や音についての話をする。しかし、周囲から隠し撮りをされ怒った高槻を見かねて、その店を後にするものの、会計をしている間に高槻はどこかへ走り去ってしまう。
それでもすぐに戻ってきた高槻と悠介は、みさきが運転する車で音が寝起きで話していたストーリーについて語りだす。その話を聞いて悠介は音の大切さや、自分のふがいなさ、虚しさなどが入り混じってくる。高槻も音への気持ちや自身の空虚さ等を吐き出す。

その後、稽古に精を出すようになった高槻はどんどん役が上達していく。

舞台での稽古中、突然警察が入ってきて、高槻を逮捕してしまう。実は、バーを出た後隠し撮りをしていた青年を殴っており、その青年が死んでしまったため、殺人の容疑で逮捕されたのだ。
主演である高槻が逮捕され、演劇祭の開催が危ぶまれ、2日後には中止するのか、元々昔演じていた悠介が代役として開催するのか判断するよう迫られる。
その時悠介はみさきの故郷である北海道に行きたいと言う。車とフェリーで北海道まで行き、みさきの実家があった場所で、ある判断をする。。。

感想

基本的な物語は一台の車の中で自分語りをすることで繰り広げられるというものですが、その内容というのが非常に濃くて3時間という時間を完全に忘れさせる凄みがあります。
一つの方向からこの作品を切るというのは不可能だと思います。

まず、この映画の中で特徴的なのが、多言語構成になっているという点。悠介が手掛ける舞台は様々な国の役者や、話すことが出来ない役者まで様々な人のコミュニケーションを描きます。舞台以外でも、コミュニケーションツールとして、性行為すら言語として描かれています。
このように多言語であるがために、登場人物の誰かの姿に自分自身を重ね合わせることが出来ると思います。

悠介は性行為を言語として駆使することはあまり得意ではなく、逆に高槻は性行為でしかコミュニケーションが取れない不器用さがあり、さらには暴力にも頼ってしまう至らなさが波乱の展開に繋がってしまいます。
みさきは運転を言語として駆使しているが、自分のことを話すのは得意ではないといったように、多言語(ここでは言語と言語以外等)をマスターしている人はいないので、そのことに劣等感を覚える必要はなく、理解できない部分ですらお互いの人間関係や人間性の積み重ねになっていくと受け取りました。

あとは様々な部分に伏線が張られており、みさきの実家に行ったときに全て一気に回収するあたりが、非常に爽快感もあり悠介とみさきの思いが一気に流れ込んできて心が締め付けられました。
みさきの実家を見た時、悠介は「自分は正しく傷付くべきだった」「会ったら怒鳴りたい、責めたい、謝りたい。」「もう一度だけ話がしたい」と音を亡くしてから心に抱えていたものが一気に崩れていきます。

ずっと男らしく(車もその一例だと思います)生きてきて、妻の不倫に対しても怒らず受け入れたふりをしていた悠介が、寡黙なドライバーであるみさきによって、心を開放するという対比もまた素敵でした。

この映画は見る人によって誰に共感できるのか、感じるものが全く逆の人もいるのではないかと思えるぐらい、人の中身をまじまじと突きつけられるものでした。
ぜひ興味のある方は一度ご覧になってみてください!

以上、「ドライブ・マイ・カー」の感想でした。
最後までご覧いただきありがとうございました!